最初で最後の私の紹介
えら部が出来るまでと、これからのこと。

徒然なるままに書き留めていく、
えら部編集長 山内良子の半生を語るコラムです。

Profile
山内 良子(47歳)

スクール情報誌えら部 編集長
株式会社アークワン 取締役
沖縄の女性が、自分の未来に安心と希望を持てるような情報誌づくりを目指し、常に現場を歩く編集長として日々、読者・スクール・企業の取材に奔走。人の魅力を的確且つ簡潔に表現する事が得意。常に人の本質をとらえる記事づくりを心がけている。読者と共に企画したえら部スクールフェスティバルでは5,000人以上を動員し、話題を呼んだ。また、那覇市商工会議所や団体などで「女性の起業」をテーマに講演を行なうほか、自社主催で講師向けの講座・セミナーも開催。

山内 良子
山内良子(47歳)

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広告業界に入るきっかけとなったのは「とらばーゆ」。リクルートが発行する女性向けの転職情報誌でした。
私は華やかな世界に憧れ、ファッションの専門学校を卒業後に東京南青山のアパレルメーカーに就職したものの、3年間の下積みが耐えられなくなり、「とらばーゆ」で転職を検討するうちに、こんな雑誌をつくってみたい!と思いはじめました。そして思い余ってリクルートに面接に行くも不採用…。結局は他社の女性求人情報誌「サリダ」に、営業として採用されました。

営業は全くの未経験でしたが、これまでの読者としての視点を営業に役立てました。「営業は名刺ひとつでどんな会社にも行ける。社長や人事のトップに会える。視野が広がる。」そうサリダの求人募集広告に書かれていたように、とても魅力いっぱいの仕事でした。
入社して3年目、世間は超・就職氷河期。営業成績が優秀だった私は、早々にも営業から管理職の道を告げられましたが、それを断って「起業」を選択。海外にいる友人を頼って、輸入雑貨卸の会社を設立しました。
横浜桜木町に事務所を構え、ソニープラザ、JR、そごう、相鉄ローゼン、新宿アルタなど、新規取引口座を一人で開拓するも、仕入れに疲れた私は、3年で在庫と会社を清算し、20代で結婚の夢を果たすことに。
「働かなくてもいい」という夫に、最初は安心と逞しさを感じたけれど、広告づくりの魅力が忘れられず、リクルートにもう一度チャレンジしてみたところ、売買専門の住宅情報誌の営業として採用されました。
広告主である様々な不動産会社の方々と一緒に広告を作る中で、物件の魅力の伝え方をアドバイスする際に「マンションを買うのではなく“暮らし”を買うんです」と、女性読者の視点でアドバイスすることで、とても重宝がられました。

そんな仕事に夢中になった頃、リーマンショックの影響で、リクルートが売上目標を下方修正。
私の売上は下がりはしませんでしたが、ちょうど同じ時期に家庭も崩壊。それをきっかけに、大好きな沖縄へ移住しました。仕事も住まいも友達もいない沖縄生活の中で特に苦しかったことは、予想以上の低賃金。
何もかも横浜に置いてきた私には、後からくる税金が払えず、税金の滞納が続くと給料から天引きされる事を、この時に初めて知りました。

コールセンターや地元の広告会社に就職し、なんとか暮らしている感じでしたが不思議と全く「不安」はなかった。それから仲良くなった居酒屋のオーナーに勧められ、昼間の時間を借りてランチの店を始めてみたり、美容商材を販売したり、いろいろしたけど何をしてもピンと来ない。やはり自分が長く経験を積んできた広告作りの能力を生かすしかない。そう思い、沖縄にはなかったスクール情報誌をつくる会社を、新しいパートナーと共に設立。創刊したのが「えら部」です。
新規創業の融資で始めましたが、初年度から赤字。正直、継続が困難と思う時期もありました。でも必ず「無理」と思う時に助けがあり本当に救われました。
これまで何でもスパッとやめてきた私が、えら部だけは続けたいと思ったのは、沖縄への感謝と自分の使命、役割を人生で初めて感じたからです。何がなくともこれだけは私自身。それを知ったから今があり、えら部を通して人の成長を身近で感じられる事が、何よりも幸せに感じています。これからも読者の皆さんの期待にお応えしながら、「えら部」は進化・変化しながら成長し続けたいと思います。